古典をどう解釈するか
今現在の日本の古典鍼灸というと、経絡治療(ツボの流れ)を指すのですが、そのバックボーンになっているのが、「難経(なんぎょう)」という鍼灸独自の教本みたいなのがあります。
※漢方(薬)には「傷寒論」「金匱要略」があります。
まあ、古典鍼灸=難経と言ってもいいくらいなのですが、この難経の解釈が色々あります
この解釈の仕方にもそれぞれこだわりがあり、そこにこだわりすぎると、自ずとそこに一つの壁が出来て、限界が起きてしまいます。
つまり、古典というものは、決して古書を読んで、解釈して、理解するということではないんですよね。
それは非常に初歩的なことなんです。本当に古典を読んでいくと言うことは実際の臨床に照らし合わせて、古典書に書いてあることが実際にどういう意味かを考えていくことにあるんですよね。
例えば、鍼は当時どんな使い方をしていたかはハッキリとわかってないんですよね。若干の遺物がありますが、そこには金鍼が載っており、装飾の色が強かったんじゃないかといわれてますから。
灸にしても現代は米粒大とかいってますが、昔はどのくらいの大きさを使っていたのかはわかっていません。
そんなことを考えますと、古典書から2千年以上前のことを探っていくのはすごくむずかしいことです
またこれを探っていってもあまり意味がないことなんですよね。
ですから古典を読むというのは、書かれていることが正しいと思うのではなく、今の状態にどのように当てはまっていくか
を考えるほうがいいんですね。
話は少しそれますが、東洋医学の大元の古典には黄帝内経というのがありまして、それを2分すると
素門と霊枢があります。そのさらに細かく分類していくと難経があります。
この難経は黄帝内経にはない独自の物があります。これはどういうことかといいますと、大元の聖典である黄帝内経を
超えようとした試みがみられます。
これは難経を作った人が実際に何かやってみたと言うのが考えられるんですね。単に素門・霊枢を理解しただけでなく、実際にやってみて、結果効果があったものが付け加えられたと考えられるんです。
そういう面において黄帝内経から少し外れている、いわば反経的な面もあるんです。
この辺は鍼灸独特で面白いです。
しかしですね、この難経というのは解釈本しか存在しないんですね。本文が無いんです(笑)
本文は無いのに解釈本だけはある不思議な古書なんですね。(笑)
とういうことは、過去にいろんな人が解釈を入れてあれこれ改良してきたともいえるわけで、純粋に古典とはいいがたいんですけどね・・・
まあ、鍼灸師はこれを元に治療を組み立ててるんですけどね・・・
常に前進ですね。
※漢方(薬)には「傷寒論」「金匱要略」があります。
まあ、古典鍼灸=難経と言ってもいいくらいなのですが、この難経の解釈が色々あります
この解釈の仕方にもそれぞれこだわりがあり、そこにこだわりすぎると、自ずとそこに一つの壁が出来て、限界が起きてしまいます。
つまり、古典というものは、決して古書を読んで、解釈して、理解するということではないんですよね。
それは非常に初歩的なことなんです。本当に古典を読んでいくと言うことは実際の臨床に照らし合わせて、古典書に書いてあることが実際にどういう意味かを考えていくことにあるんですよね。
例えば、鍼は当時どんな使い方をしていたかはハッキリとわかってないんですよね。若干の遺物がありますが、そこには金鍼が載っており、装飾の色が強かったんじゃないかといわれてますから。
灸にしても現代は米粒大とかいってますが、昔はどのくらいの大きさを使っていたのかはわかっていません。
そんなことを考えますと、古典書から2千年以上前のことを探っていくのはすごくむずかしいことです
またこれを探っていってもあまり意味がないことなんですよね。
ですから古典を読むというのは、書かれていることが正しいと思うのではなく、今の状態にどのように当てはまっていくか
を考えるほうがいいんですね。
話は少しそれますが、東洋医学の大元の古典には黄帝内経というのがありまして、それを2分すると
素門と霊枢があります。そのさらに細かく分類していくと難経があります。
この難経は黄帝内経にはない独自の物があります。これはどういうことかといいますと、大元の聖典である黄帝内経を
超えようとした試みがみられます。
これは難経を作った人が実際に何かやってみたと言うのが考えられるんですね。単に素門・霊枢を理解しただけでなく、実際にやってみて、結果効果があったものが付け加えられたと考えられるんです。
そういう面において黄帝内経から少し外れている、いわば反経的な面もあるんです。
この辺は鍼灸独特で面白いです。
しかしですね、この難経というのは解釈本しか存在しないんですね。本文が無いんです(笑)
本文は無いのに解釈本だけはある不思議な古書なんですね。(笑)
とういうことは、過去にいろんな人が解釈を入れてあれこれ改良してきたともいえるわけで、純粋に古典とはいいがたいんですけどね・・・
まあ、鍼灸師はこれを元に治療を組み立ててるんですけどね・・・
常に前進ですね。
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